1 名前:
yomiφ ★[] 投稿日:2013/04/19(金) 13:33:13.31 ID:???
ちょっとだけ面倒な話をしよう。こんなことを、こんなふうに書くのは、作家としての僕にとって、
なんのメリットもない。けれど、SNSなどのツールが発達した現在において、ようやく可能にな
ったことを、試してみたいとも思うのだ。さて、本題に行こう。
僕は書くのをやめるかもしれない。廃業するかもしれない。
(中略)
ちょっと前に「よつばと」のことを書いたけれど、子供を持ったことによってようやく、僕は大人に
なったのだと思う。いや、なってしまったのだ。毎日、大喧嘩をする。心底から苛々する喧嘩だ。
そうした経験により、僕は新たな感情を得ていった。学んだと言ってもいい。家人とふたりきりの
生活も楽しかっただろう。それでもよかったと思う。けれど、子供を得てしまった今、戻れるかと
いったら、戻れない。戻りたいかと尋ねられたら、戻りたくないと即答する。
そんな日々を送るうち、いつか僕の中にある怒りは力を失っていった。代わりに別の怒りを
抱くようになるわけだけれど。
そのことを書こう。おそらく、誰かを傷つけるし、その中には同業の作家もいる。ちょっと勇気が
必要かな。時間をください。深呼吸します。
率直に行こう。エンタメ小説は終わった。ビジネスとしては。だいたい、三年ほど前かな。
ちゃんと書いておくけれど、芸術としての文学は意味を失っていないし、そもそも人がなにかを
創るということに終わりはない。エンタメ小説が終わったと書くのは、あくまでもビジネスに
限定したことだ。僕が知るかぎり、ここ三年ほどのあいだに出た作家の中で、
大卒サラリーマン以上の年収を継続的に得られている人はわずかしかいない。
いくつかの作品がヒットすることはあるし、けっこうな収入になるけれど、それが続くことは稀だ。
執筆だけで人並みの生活を送ることは、もう不可能なのではないか。
五年前、十万部売れていた作品があったとしよう。今なら、よくて五万部くらいかな。
三万部かもしれない。来年はもっと減る。再来年もね。三年後は……本になるかどうか、
僕には確信が持てない。
今の日本では、ほぼすべての分野において、市場が縮んでいる。当たり前の話だ。
人口が減っているのだから。若い人がどんどん少なくなっている。小説もまた、その宿命から
逃れることはできない。人口減だけではなく、インターネットを初めとする、情報の多様化も
要因としてあげられる。選択肢が増えた。それはすばらしいことなのだけれど、小説という
オールドメディアにとっては、厳しい現実になってしまう。
僕は家人を得て、子供も得た。一男一女。喧嘩しながらも、苛々しながらも、悪くない日々だ。
チョコレートをたっぷり味わっている。けれど、世の中は、そうではない。
学生時代の友人たちの多くは、結婚していない。もちろん子供もいない。公的な統計によると、
日本の二十代、三十代の三割ほどは、未婚のまま生きていくそうだ。子供を持つ人間は半分くらい。
仕事柄、作家や、書店員との付きあいも多いけれど、彼らに絞ってみると、割合はさらに
高くなるのではないか。僕自身がそうだったように、本好きは人間関係があまり上手じゃない。
この国、日本においては、子供を持たない人々が多数派になろうとしている。
傾向は鮮明だ。市場は嘘をつかない。現実を反映する。男女の関係を描いた小説は今、
まったく売れなくなった。家族を描いた小説は今、まったく売れなくなった。
大人を描いた小説は今、まったく売れなった。
僕は男女の小説を書きたい。家族の小説を書きたい。大人の小説を書きたい。
けれど今、それらは求められていない。以前に「よつばと」のことを取り上げたけれど、
家族の形を描くとしたら、ああいう方法しかないわけだ。男女の話ならば、
性的なことはいっさい書かず、ラブコメにしてしまうとかね。夫であり、父でもある僕は、
そういうやり方を選びたくない。得ることは失うことなのだと書きたい。
痛みに触れたい。僕という人間の、あるいは橋本紡という作家の、それは限界なのだ。
橋本紡は、時代とズレてしまった。
(抜粋。全文はソースにて。)
http://nekodorobo.exblog.jp/20279928/橋本紡|
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