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名無しさん@涙目です。(静岡県)[] 投稿日:2011/12/18(日) 04:22:45.55 ID:9fH4Fs4C0 ?PLT(12001) ポイント特典
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花袋が松岡國男(民俗学の柳田國男。のち柳田家の養子となる)と初めて出会うのは、
明治24年初冬で、同27年7月の約一カ月間を、山田恒一を加えた3人で日光照尊院に滞在してから緊密になっている。
花袋と日光との関係は兄・実弥登が度々日光を訪れていたことに由来するようだ。21年夏に、花袋は、実弥登とその友人と共に初めて日光に遊んでいる。
花袋の文学好きは、漢詩文・和歌の結社を作り、発行していた兄・実弥登の影響が大きいと思われる。
花袋は紀行文家としても知られ、その生涯を通して日本の各国、および中国を旅行し、旅行記を残している。
花袋が紀行文家として認められたのは『太陽』に「日光山の奥」を寄せてからのことで、花袋と日光との関係は深い。
銚子・犬吠埼の「暁鶏館」に保養中の松岡國男(1875~1962)を見舞いに、
花袋が訪れるのは、29年(1896)7月23日のこと。数え26歳だった。「暁鶏館」に10日間程滞在している。
その前年の28年12月に、花袋と太田玉茗は、渋谷に住む国木田独歩(銚子生まれ)を訪ねている。独歩は『国民新聞』に書いていた。
宮崎湖処子を道玄坂に訪ねたところ留守だったので、唐突に独歩を訪ねたことが、「国木田のこと」に書かれている。
独歩は佐々城信子と別れた直後で意気消沈していた。独歩から手製のカレーライスをご馳走されている。
「その旨かったことは今だに忘れることが出来ない」と書いている。カレーライスはまだ珍しかった頃だろう。
犬吠埼に國男を見舞った同年11月12日に、また玉茗と連れ立って独歩を訪問。
よほど独歩と話が合ったらしく翌日も独歩を訪ね、さらに17日にも恢復した國男とともに独歩を訪問している。....
ソース
http://www.chibanippo.co.jp/c/culture/bousou/66026