1 名前:
名無しさん@涙目です。(青森県)[] 投稿日:2011/07/28(木) 10:51:20.95 ID:igqeeIi/0 ?BRZ(10000)
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岩手・田野畑 流失の宮沢賢治詩碑見つかる
宮沢賢治の詩「発動機船」を三つに分けて刻み、岩手県田野畑村の3カ所に設置された詩碑のうち、
津波で流失していた平井賀海岸の碑が元あった場所に近い砂浜で見つかった。
三陸鉄道の島越、田野畑両駅にある他の二つの碑は被災を免れており、詩碑「発動機船」3部作が
震災後、ようやくそろった。村は今後の設置場所などを検討している。「発動機船」は賢治が1925年
1月、発動機船に乗ったときの情景を書きつづった作品とされ、その出港地が田野畑村羅賀の港だった
との説がある。
平井賀海岸の碑は3部作の第1部に当たり、御影石製で高さ1.3メートル、幅2.3メートル、厚さ22センチ。
ことし1月に88歳で亡くなった元田野畑浜漁協組合長の畠山栄一さんが賢治の生誕100周年に合わせ、
96年6月に建立した。
碑は東日本大震災の津波で所在が分からなくなっていたが、がれきの撤去作業をしていた業者が6月
下旬に発見した。碑は畠山さんの自宅に運ばれ、現在も庭に保管されている。他の二つの碑は、平井賀
海岸の碑に続けて全文を詩碑3部作として完成させようと、村が97年3月に島越、田野畑両駅前に
それぞれ設置した。
島越駅は津波で駅舎や高架橋、ホームが流失したものの、碑は無事だった。田野畑駅は津波被害を
免れていた。畠山さんの妻照子さん(84)は「詩碑は、賢治の思想に感銘を受けていた夫の形見の
ようなもの。見つかってほっとしている」と話した。
[発動機船]宮沢賢治の未発表作で、死後、自宅から原稿が発見された。1~3に分かれており、賢治が
八戸から釜石まで旅行した際に乗った3隻の発動機船から見た情景を計約115行で描写している。
花巻市の宮沢賢治記念館によると、作品の下書きや旅行日程などを総合すると、1925年1月8日に
制作したと推定される。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110726t35003.htm