1 名前:
禿の月φ ★[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 06:11:28.21 ID:???P
作家三島由紀夫の割腹自決が映画化される。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
「キャタピラー」がベルリン国際映画祭に出品された若松孝二監督の新作で、
「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」。NHKドラマ「チェイス~国税査察官~」で注目を集めた
俳優のARATA(36)が主演する。来春公開予定。
三島が事件を起こしたのは1970年11月25日。
左翼運動に対抗するため組織した「楯の会」の会員を引き連れ、東京・市ケ谷の陸上自衛隊駐屯地に乱入。
バルコニーから、憲法改正のため自衛隊に「決起」を呼びかける檄(げき)文をまき、
演説をした後、割腹と介錯という古典的方法で自決した。
当時、ノーベル文学賞にもっとも近いと言われた国民的作家による事件は社会に大きな衝撃を与えたが、
なぜ、こうした行動を取ったのかは40年以上がたった今もさまざまな解釈がされている。
映画は主に68年の楯の会結成から自決までを描く。
三島を介錯し自らも割腹自殺した早大生の森田必勝(まさかつ)ら若者たちの高揚と挫折にスポットを当てる内容。
また、小説を書くかたわらボディービルや剣道などに励んだ三島の肉体や精神の遍歴にも迫る。(>>2->>5あたりに続きます)
ソース:スポニチ Sponichi Annex
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/02/kiji/K20110502000740900.html画像:三島由紀夫を演じるARATA
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/02/jpeg/G20110502000741620_view.jpg2 名前:
禿の月φ ★[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 06:11:49.31 ID:???P
(>>1からの続きです)
三島をテーマにした作品にはフランシス・コッポラ氏とジョージ・ルーカス氏が製作、
85年に米国で公開された映画「MISHIMA」(85年)などがある。
この作品では幼少期からの人生が描かれ、故緒形拳さんが主演した。
昨年は没後40年にあたり、関連書籍が相次いで発行された。
10数年前から企画を温めてきたという若松監督は「政治や世の中を変えようとした人や
事件が忘れ去られようとしているのなら、それを撮っておくのが映画監督の務め」と説明。
若者たちが命がけで活動する姿を通して「若い人たちに政治に関心を持ち、奮起を促したい」とも話す。
三島役に抜てきされたのは「チェイス」で強烈な存在感を発揮したARATA。
若松作品は「実録・連合赤軍」「キャタピラー」に続く出演で約2カ月にわたって剣道を練習。
肉体改造も行ったといい「若者たちの心の息吹を描こうとする作品。モノマネをするのではなく、
自分の感触でつかんだ三島像を膨らませたい」と意気込んでいる。
「キャタピラー」でベルリン国際映画祭の最優秀女優賞を受賞した寺島しのぶ(38)が妻役で出演。
三島の死後の社会情勢を伝えるストーリーテラー的な役どころを務める。
◆三島由紀夫 1925年、東京生まれ。本名は平岡公威(ひらおか・きみたけ)。
16歳の時、少年のけん怠を描いた「花ざかりの森」でデビュー。この時、初めて三島由紀夫のペンネームを使った。
東大法学部卒業後、旧大蔵省に入るが9カ月で退職し作家活動に専念する。49年の「仮面の告白」で地位を確立。
「潮騒」「金閣寺」などで人気作家となる。執筆活動の一方、右翼的な政治活動にも傾倒。
自衛隊に体験入隊を繰り返すなどした。戦時中の入隊検査に不合格になったコンプレックスから、
ボディービルやボクシング、剣道などに励むようになったとされる。(了)
3 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 06:14:10.69 ID:3jfYHFwG0
こんな子供みてーな顔してねーよw
22 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 06:26:16.03 ID:qvKZB4h10
三島由紀夫はもっとガッチリムッチリじゃないとな
ARATAみたいな体型では貧弱すぎて興ざめする
23 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 06:26:30.90 ID:V50mi48q0
ARATAは狂気を秘めている人とかやらせると上手いよね
25 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 06:26:58.86 ID:lpxOaZVv0
美輪明宏出てくるの?
11 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 06:18:07.76 ID:FsbjSNUp0
左翼が撮るんだから
どんな出来か想像できるわ
163 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 09:03:49.66 ID:paamQC/o0
>>11
俺もそこが気になる。
結局「三島の選択は誤りだった」みたいに持ってくのかな…。
権利者がよく承諾したね。
33 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 06:33:12.66 ID:HWOGyxVqO
題名がひどくね?
36 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 06:35:47.55 ID:k04KTOmzO [2/2]
>>33
いつものこと
34 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 06:35:19.67 ID:KyJqJeo30
MISHIMAは遺族の反対で未公開となったっけ
若松版は妻まで出てくるけど許可はとれてるのかな
153 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 08:38:30.13 ID:bGgnl9x20
緒方拳のMISHIMAは素晴らしかった
157 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 08:47:02.49 ID:oC03o8CR0
>>153
あれは海外製作だったことが重要なんだよね
本当に良く出来てると思う
20 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 06:24:03.33 ID:wvUfOIse0 [1/3]
>三島を介錯し自らも割腹自殺した早大生の森田必勝(まさかつ)
たしかこの人は手が震えて三島の介錯できなかったんじゃなかったかな。
なので別の人が2人の介錯をしたはず。
54 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 06:52:45.70 ID:lSh5wuYBO
>>20
2度失敗だったかな三島の肩に傷が残ってた。
「落ち着いてやれ!」と三島から一喝されて成功。
だったと思うよ。
60 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 07:02:10.31 ID:wvUfOIse0 [2/3]
>>54
森田は2度失敗で刀が曲がり、代わって剣道有段者の古賀って人が2人を介錯、
だと思ったんだが
404 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 22:44:14.93 ID:Xo3lGC9i0
>>54
ぐさりと割腹した後だし
「落ち着いてやれ!」と三島が言ったとは思えないな
416 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 23:24:13.36 ID:7uFzJIAH0
>>404
痛くて奥歯が砕けてたんじゃなかったっけ
介錯も、振り下ろした刀が跳ね返って、ひと思いに斬れなかった
で、痛くて痛くてタマラン三島が怒鳴ったとか
アッー!!もやるんかな
425 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 00:02:02.63 ID:KL1cGfLZ0 [3/3]
結局だれが介錯したんだっけ?
その人はうまく首落とせたんでしょ?
その人はどうやって練習したんだろう。
426 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 00:18:50.25 ID:zZIMYHVf0
>>425
古賀浩靖。古賀は剣道の有段者で、森田に代わり三島の介錯をした。
また森田の介錯も古賀が行なった。
古賀は刑に服した後、生長の家の幹部として活動している。
当初の計画では、森田必勝、小川正洋、小賀正義、古賀浩靖、そして三島の5人全員が自決する予定で
血判状や血の杯で誓い合い、半年以上前から綿密な計画を進めてきたが、決起直前の11月初頭になって
三島と森田の2名だけが自決することに計画が変更された。
命を捨てる覚悟だった残りの3人の心情も悲壮なものであったろう。
三島は古賀たちに対して、「死ぬは易く、生きるは難い。お前たちは生き残って益田兼利総監の身柄を無事に
警察に引き渡し、法廷に於いて楯の会の精神を後世に対し恢弘せよ」と命令した。
262 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 12:21:11.20 ID:s/qxgLRN0 [1/2]
切腹前の演説は自衛隊員も日本国民も
「ちょっと何言ってるのか分からない」状態
だったみたいね。
273 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 12:28:47.03 ID:wvUfOIse0 [3/3]
>>262
・三島は自分でマイクを用意していなかった
・上空をヘリが飛んでいた
等々あって、ほとんど聞き取れなかったみたい。
「昼飯時なのにメシが食えねえじゃねえか!」って怒ってる隊員もいたとかw
85 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 07:18:59.97 ID:RIaZpMznO
三島由紀夫と美智子皇后が昔付き合ってたのって本当?
美智子さんの元カレなの?
247 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 11:46:13.47 ID:+YHpHN0w0 [4/7]
>>85
付き合ってはいないが、三島は正田美智子さんとお見合いをしているよ。
おそらく昭和30年か31年ごろ。『潮騒』が大ヒットし最初の映画化もされた後で、
三島はすでにスター作家だった。
成立しなかったときにあまり障りがないように、本格的な場所をセッティングしての
見合いではなく、一緒に歌舞伎座で歌舞伎見物をしたあと銀座の小料理屋「井上」で
食事をしたらしい。
結局この結婚は成立せず、昭和33年6月に三島は杉山瑤子と結婚し、同年11月には
美智子妃のご成婚が発表された。
当時サンデー毎日の記者をしていた徳岡孝夫に晩年の三島が直接語ったことで、
他の筋からも複数の証言があるからこの見合いの話は事実。
121 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 07:54:26.36 ID:aBfX53k20
筒井のダヌンツィオに夢中によると
マイクが悪くて三島の演説は自衛隊に聞こえなかったらしいが
126 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 07:55:41.69 ID:9ABcP3Rg0 [3/3]
>>121
発声が下手だ、て書いてなかったか。
242 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 11:37:38.36 ID:SgXEl0ZDO
三島由紀夫の著書を読むと、三島の持ってる狂気が伝染して来るんだよ。これは怖い。
ただ、思想と割腹はアレだな。
359 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/02(月) 16:19:48.22 ID:75nUqOaB0 [1/2]
三島の小説は、刃物の描写とか妙に艶がある。
身近に日本刀があって常日頃接していないと書けないレベル。
死に際の「檄文」は今でも充分通用する名文だと思います。
370 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 17:03:28.23 ID:+YHpHN0w0 [7/7]
日本国憲法の刑事訴訟法を実質的に起草したことでも有名な団藤重光東大教授が、「私の教え子の中で
最も的確に私の刑事訴訟法論を理解したのは三島由紀夫だ」というほど、三島は厳密な法理論思考を
身につけ、徹底的に論理と認識のなかで生きてきた人間。
その三島が法学徒として長年考えた結果、憲法9条という「完全に遵奉することの不可能な成文法の存在」
が「道義的退廃を惹き起こ」し、その9条からくるうわべだけの平和主義で日本が戦後をやり過ごしてきた
ために、「戦後民主主義とそこから生じる偽善というおそるべきバチルス」によって日本社会が
欺瞞・偽善に覆われるようになったとの認識に至った。
だから、解釈改憲ではなく日本人自らの手により自ら責任を負う形での改憲が必要という論理の帰結になる。
さらに、「主権、国土、国民」の国家構成三要素のうち、主権は米国の傀儡国家のようになり、
国土・国民を守るべき自衛隊には国軍としての名誉は与えられず、さらには自衛隊を日蔭者のように
扱っている日本は、独立国家としての体をなしていないと三島は考えた。
そして米国の傀儡から抜け出すためには日米安保体制からの脱却が必要であるが(ここまでに関しては
左派政党と認識が同じ)、現実的に考えれば自主防衛が必要であり、自衛隊に国軍としての地位と名誉を
与えて正規軍としての再定義が必要であるという結論に至る。
自衛隊を二分化し「国連警察予備軍」と「国土防衛軍」に分けて運用すべきだという提言も三島は行なっているが、
これは小沢一郎の「自衛隊を二分して国土防衛と国連軍待機とに分ける」という主張に30年先んじた、ほぼ同じ提案。
最終行動ばかりが注目されがちだが、三島の社会的主張は基本的にロジックが背景になっており、
いま読み返しても示唆を得られるものが少なくない。
494 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/03(火) 10:13:46.08 ID:nxF3y1YFO [2/3]
>>370
去年くらいの日経新聞の連載で、団藤先生がその話を書いてたな
東大の刑事訴訟法のテストで抜群に出来のいい的確な答案を書いてくる学生がいて、
参考のためにその答案をよけて保存しておいたら、その学生が三島だったという
その答案はある日団藤先生の猫がぐちゃぐちゃに破いてしまって、先生も
惜しいことをしたと述懐しておられた
三島は父親に無理強いされて東大法学部に進んだけれども、そのことが結果的に
自分の文学に論理性と社会科学的バックボーンをもたらすことになり、むちゃくちゃな
父親だったが自分を法学部に無理やり進ませたことだけは感謝したいとも言っていた
496 名前:
名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 10:17:19.07 ID:O5GOT2Iu0 [3/7]
>>494
それだけ頭の良かった三島が首席で卒業できなかったというのが面白い。
因みに首席は後の作家いいだもも。三島ファンには釈迦に説法か。
505 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/03(火) 10:33:16.55 ID:QCsJGyB50 [9/29]
小林信彦のエッセイの中に、こういう話が出ている。
詩人で建築家で映画評論家の渡辺武信と初めて会ったのが、三島事件翌日の1970年11月26日だったと。
晶文社の若い編集者が二人を引き会わせるという約束になっていて、喫茶店で三人が落ち合ったんだけど、
挨拶もそこそこに自然と三島事件の話になったら、その若い編集者が、男泣きに泣き始めてしまったと。
その編集者は、学生時代は全学連で、安保闘争に参加しており、だからこそ三島には強いシンパシーを感じていて、
前日の事件に強い衝撃を受けていた。
小林信彦は「あなたの気持ちはわかるけど、今日は私と渡辺さんを引き会わせる役目で来てるんだから、・・・」
と、その編集者をいさめたという
517 名前:
名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/05/03(火) 10:42:07.72 ID:nxF3y1YFO [3/3]
>>505
あの日に誰がどこで何をし何を考えたかってのは非常に興味深い問題なんだよね
あの日を境に日本社会や日本人の意識は何かが変わったって議論はとても多い
去年出た幻冬舎新書「昭和45年11月25日」(中川右介著)は著名人100名以上の
あの日の行動の記録を時系列にまとめた労作で、三島や日本近代社会史に
少しでも興味のある人なら必読だと思う
元スレURL:http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1304284288/
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